『全日本リトミック音楽教育研究会』 誕生エピソード
元全日本リトミック音楽教育研究会会長 江崎正剛
私は、滝廉太郎の「荒城の月」をバリトンの立川清登(すみと)さんが朗々と歌うのを聴いて、「これぞ名曲!これぞ絶唱!」と感動したものでした。その滝の7年後に現れた山田耕作は、作曲家として「赤とんぼ」からオペラまで数多くの作品を残し、指揮者としても日本の交響楽団の基礎を築きました。そして、何よりも私が驚いたことは、ベルリンで作曲を学んだ22才の頃、早くもリトミックに着目して、帰国後その理念を紹介し、自分の音楽と動きを結び付けようとしたことです。非凡な洞察力というほかありません。リトミックの創設者であるダルクローズ自身も、5人の生徒を引き連れ、ドイツとオーストリアを巡演しながら、メソッドの説明に勤しんでいた頃でした。つまり、出航に際して、オールラウンドプレイヤーとしての山田耕作という音楽家が水先案内人、操舵室から四方を見回しながら、船の舵をとるのが、生涯をリトミックの普及と人材育成に捧げられた恩師である故板野平先生、そして乗客が私たち、という構図は、色々な運命的な出会いあってこそのものでした。
まずニューヨーク・ダルクローズ音楽学校が表明した留学生1名の受け入れに呼応して、広島音楽界の重鎮、太田司朗先生が板野先生を指名されたこと。当時は直行便が無く、大海原を客船で木の葉のように揺られて渡米。 第2は、その板野先生が、学校長のシュスター博士の薫陶を受けられたこと。彼女はかつて、ダルクローズに直接学び、アメリカ大陸全域のリトミックに関する全権を委ねられた方で、並外れた音楽と素晴らしい授業展開には定評がありました。 そしてもう一つ挙げるなら、板野先生はクラスメイトに恵まれたこと。そのクラスメイトであり、来日されたこともあるエイブラムソン先生とリサ・パーカー先生は、共に音楽の申し子のような方で、特にエイブラムソン先生は長い間「全日本リトミック音楽教育研究会」の顧問を務めて下さいました。
やがて板野先生は帰国され、国立音楽大学を本務校として足場を固め、ご郷里の広島を中継基地とした本格的な普及活動を開始されるのです。
この様にこの研究会が組織として立ち上がる直前、いわば「夜明け前」の状況を、少し幅を広げて述べてみました。
創設者・永久名誉会長 板野 平先生(1928~2009)
1952年 24歳 ニューヨーク ダルクローズ音楽学校入学
1954年 26歳 ダルクローズ音楽学校の授業風景(真ん中が板野平先生)
1984年 56歳 エイブラムソン先生とご一緒に幼稚園で
1989年 61歳 全日本リトミック音楽教育研究会 名古屋支部での講習会
全日本リトミック音楽教育研究会とは
日本全国に15支部のネットワークを擁する、規模、活動内容ともに充実した、 音楽教育研究団体です。
スイスの作曲家 エミール・ジャック=ダルクローズ(1865~1950)による 「身体的な音楽反応を通して内的な音やリズムの感覚を目覚めさせながら表現力を養い、 ひいては感性と知性、体と心の均衡を保つ。それによって音楽の演奏に寄与するのは、 勿論、あらゆる芸術を享受したり、それらに関わり合うことができる。」 というスケールの大きい思想を軸に、50年にわたる日本で最も長い歴史を誇る全国組織です。
全日本リトミック音楽教育研究会は、子ども達のためによい教師を目指し、 よい音楽とリトミックを学び伝えようとする研究団体です。
会長 | 石井亨 |
副会長 | 大谷喜久子 柿本因子 |
理事 | 15支部の支部長・本部指導講師 |
常任理事 | 石川陽子 坂本真理子 菅野豊美 高垣展代 田辺容子 田村信子 冨丘真美 (五十音順) |
永久名誉会長 | 板野 平 |
本部指導講師 | 石井 亨(国立音楽大学名誉教授) 中館栄子(アンサンブル・ユーリズミックス) 井上恵理(国立音楽大学) 坂本真理子(NHK文化センター) 佐藤邦子(東京家政大学) 北大路範子(キャロル リトミックスクール) ⇒講師プロフィール |
会報「音楽と動き」
全日本リトミック音楽教育研究会に入会されますと、 会報「音楽と動き」が送られます。
実践に役立つ内容や指導法、会員の声などが掲載されています。
⇒こちらで会報「音楽と動き」をご紹介しております。
研究内容
各支部では、会員自身のレベルアップを目標にしたリズム運動、ソルフェージュ、ピアノ即興演奏などの実践的研究と、さらにそれを幼児教育・児童教育に、どのように発展させていくかの指導法の研究が行われています。
詳細は、各支部にお問い合わせください。
全日本リトミック音楽教育研究会 本部事務局
〒206-0024
東京都多摩市諏訪1-67-102
纐纈頼子方
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